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平成21年9月の連休。
甲州古道シリーズ最後の区間を歩いてきました。

まず日本橋から40番目の宿場である代ヶ原宿には韮崎駅からバスで30分位ゆられて着きました。

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山梨の銘醸「七賢」さん。
創業は江戸時代(1750年)から続く老舗。

私はここで利き酒が出来るとのことでつい飲んでしまいました(笑)。
ここから13kmも歩かないといけないのにやってしまった!


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ここは山梨の銘菓、信玄餅を販売している「金精軒」さんの本店。



金精軒さんから少し歩くと武田家四天王の1人、馬場美濃守信房が開基の自元寺があります。
ここには信房の位牌と墓所があります。
写真は馬場信房の屋敷から移築されたという自元寺の総門。
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今は鉄板葺きですが昔は茅葺きだったらしい。


教来石宿に向かう途中にあるぶどう園やコスモスなどの花々。
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甲斐国最西端の宿場、教来石宿にある山口番所跡。
甲斐と信濃の国境の関所として取り締まりは厳しかったそうです。
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山口番所跡とまっすぐ下諏訪宿までつづく甲州古道。


そして甲州古道シリーズ最終目的地である蔦木宿に到着。
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厳密に言うと信濃境駅がゴールまで蔦木宿から2.3kmありますがこれがすごい高低差があり、体力的に大変でした。

今回、私がこの甲州古道シリーズで歩いた距離は約120kmにもなりました!
我ながらよくやったと自分を褒めてしまいます。



よろしくお願いします。


2010.04.16 中江藤樹先生
平成21年10月、私は滋賀県高島市安曇川町に行きました。
江戸時代初期は近江国小川村といい、我が国陽明学の祖である中江藤樹先生(1608?1648)の出身地です。

陽明学とは中国の儒者、王陽明(1472?1529)が開いた学派です。

中江先生は武士や農民に分け隔てなく色々な儒学の心得を教えていました。
特に熱心に唱えていたのが

致良知

と言う言葉です。

意味は「良いことと悪いことを判断する能力を知る」ということです。
つまり良いことと悪しきことを認識し、良いことを実行しようとする行動力が大切だと唱えています。

人間だれしも生まれつき素晴らしい素質(良心)を持っていると言い、江戸時代の封建社会には珍しい平等思想を持った人物でいつしか中江先生のことを近江の聖人と呼ぶようになりました。

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安曇川駅前に鎮座する中江藤樹先生の像。
この青空のように清き心の大切さを教えてくれているような姿でした。



皆様の良心をお願い致します。



平成21年の9月上旬。
毎年恒例の会津にある蒲生氏郷公のお墓参りに行ってきました。

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氏郷公のお墓は興徳寺境内にあります。


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故人を想い、正面から撮れないのでごめんなさい。
このお墓に埋葬されているのは遺髪であり、遺骨は京都の大徳寺の塔頭である黄梅院に埋葬されています。

苔むした台座の上に堂々とした五輪塔が立つ墳墓。
氏郷公の人柄が偲ばれる風流なお墓です。


限りあれば 吹かねど花は 散るものを 心みじかき 春の山風

「限りある花の命 いつかは枯れてしまうのに なぜ春の山風は急いで花を散らしてしまうのか」 

氏郷公の辞世の句です。
蒲生氏郷公が天下を望んでいたかどうかは不明ですが信長の有望な娘婿であり信長が生きていれば秀吉も家康も氏郷の家臣になっていたかもしれないほどの地位だったのに、時代が変わり秀吉の家臣となって奥州会津に飛ばされてしまいさぞかし無念だったでしょう。
氏郷公が長生きしていれば天下を狙うチャンスは一度くらいはあったかもしれませんね。
あの関が原もあったかどうかもわかりませんね。
甲州古道の番外編として竜王駅から韮崎駅まで歩いた帰りに行ったところです。

韮崎駅から小淵沢方面の一つ目の駅、新府駅から歩いて15分位のところにあります。

新府城は天正9年2月に武田勝頼が真田昌幸に築城を命じて同年12月完成して勝頼は入城しますが、天正10年3月に織田信長の侵攻を待たずに勝頼自ら城に火を付けてしまい、後に小山田信茂に笹子峠で裏切られ天目山で自刃してしまいます。
武田家滅亡・本能寺の変の後に武田家遺領の奪い合いの中で徳川家康が改修して本陣とし、北条家の侵攻を防いだところをみると新府城はすぐれた城なのだと確認できます。


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新府の駅から来ると目の前に壁のように立ちはだかる階段があります。
昔のドラマだとウサギ飛びで上まで登るのか・・・?と考えてしまいますが古いですね?。


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ごめんなさい!
わたしはお墓を正面や見下ろすように写真を撮ることが出来ないのです。
これはお墓ってわけではないけど・・・


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新府城址から諏訪方面を望む


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ピンボケしてます・・・・
本丸跡は結構ひろびろとしていました。


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新府城最大の特徴である「七里岩」の断崖。
八ヶ岳からの溶岩流でこれだけの断崖になったそうです。


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旧甲州街道側の堀




よろしくお願いします。


8月29日。
神奈川県根府川に行った次の日に再び山梨に行ってきました。
今回は竜王駅から韮崎駅まで甲州古道と少し寄り道しながら旅します。

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竜王駅。
表参道ヒルズを設計した著名な建築家である安藤忠雄氏の斬新なデザインの駅舎。


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竜王の町に多くある道祖神。

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さりげなくあるナマコ壁の蔵。

竜王駅をまっすぐ西に向かうと釜無川の河原に出ます。

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写真に見える杭が信玄堤の遺構を復元したもの?
暴れ川だった釜無川がこんな杭だけで川の氾濫を防いだのか!信玄という人はすごいな・・・とは間違えです。
正確にはいろいろな設備があり、写真に写っている杭はその一部に過ぎないのです。
私の説明より下記の写真を見てもらいましょう。

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ちょっと写真が小さくてごめんなさい。

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慈照寺の山門。
曹洞宗のお寺。
開基は川中島の戦いで討ち死にした諸角豊後守昌清。

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下今井のナマコ壁。
甲州街道と市川往還(駿河方面の道)の分岐点であったため、当時は栄えたのでしょうか。


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下今井にある自性院
写真はその自性院の参道ですがなんと240年以上前の石畳です!

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JR塩崎駅近くにある泣石です。
天正10年(1582年)。
武田勝頼が新府城から落ち延びる途中に勝頼夫人が燃え盛る新府城を見て涙を流した場所と言い伝えられています。
伝説ではこの岩の裂け目から水が流れていたそうですがすぐ傍の中央本線が通ることになって水か枯れてしまったそうです。

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塩崎駅周辺にはこのように風情ある家並みや遺構が残っています。

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船形神社の鳥居。
ずんぐりとした背の低い鳥居ですね。
驚くことに応永4年(1397年)造られたものです。

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写真の奥に写る二十三夜塔。
その傍を流れる用水路にはザリガニの子供が生息していました。
昔はこのような用水路にザリガニやタニシやドジョウが生息していましたが農薬を使用する農家が増えたので、このようにザリガニが住んでいるのは最近では珍しいと思い写真を載せました。

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日本橋から39番目の宿場、韮崎。
数少ない遺構の「馬つなぎ石」。
その名のとおり馬の手づなを留めておくのに使用された。

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窟観音。
岩山を削り洞窟を造り、そこに仏像を安置した珍しいお寺です。



宜しくお願いします。